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文章力アップには、「ボキャブラリー」は必要? アート・エンターテイメント

今回のテーマは
「『ボキャブラリー =文章力』は正しいか?」というテーマについてです。

実は先日、文章に関してのご質問を頂いたんですね。
その内容はと言いますと。
「私にはボキャブラリーがありません。あまり言葉を多く知らないので、
 良い文章を書こうと思っても、書けないと思うのです。
 どうすれば良いでしょうか」
というものでした。

こういうお悩みが意外と多いのかも知れない、と考え
今回のコラムは「ボキャブラリーと文章の質の関係」について
考えていきたいと思います。

そこで、まず。
このお話に入る前に、そもそも「良い文章」とは何なのか。
あるいは、「文章力がある」とは一体どういう状況なのか。
これを考えてみたいと思います。

立場や環境にも寄りますが、一般的な生活の中で考えれば、
「読みやすい」 または
「書いている内容が、頭の中に浮かぶ。イメージがわく」
というのが正解ではないでしょうか。
(特に後者を「文章力がある」とよく呼んでいるような気がします)

そうしますと、
「読みやすく、その内容が頭の中に浮かぶ」という文章が
良い文章であり、それを目指す事が
今回のコラムの目標になります。まずここをはっきりとさせておきますね。
(そもそも、学術論文のような「正しさを優先する文章」であるとか、
 外交文書のような「政治性を含む文章」、
 あるいはクセのある文学賞に通る作品のような「芸術としての文章」の場合は、
 「良い文章」の定義が異なりますので、今回の内容は通じません。
 目的によって、「良い文章」は変わりますので、それを前提にお読みください)

では、本題です。
ボキャブラリーがある事は、良い文章につながるのか?
半分は「イエス」だと思います。


そもそも文章の質を上げようと思いますと、
「どちらの言葉を使おうか」と考える、選択肢が必要です。

例えば、雨が降っているシーンを考えてみましょう。
あなたが家の中にいるとします。季節は冬。雪にはならないけれども
冷たい雨が降っていて、あなたは憂鬱な気分で外を眺めています。
何か嫌な事があったのかも知れません。
こういうシーンで、この雨をどのように表現するでしょうか。
一人称の小説で書く場合、あなたならばどう表現するかを考えてみてください。


…… いかがでしょうか。

人によって、かなり色々な表現があると思います。
そこに「完全な正解」はありませんから、全てが正解とも言えますし、全てが間違いとも言えます。
それを前提として、
以下の例を一緒に考えてみて頂ければ幸いです。


まずは、普通に表現してみましょう。
「冷たい雨が降り続く。まるで私の気持ちを表しているかのようだ」
かなりストレートな表現ですね。
これが一つ目に頭に浮かんだとします。

次に、このストレートな文章を、「より良い文章」へと生まれ変わらせるために、
手直しを加えていきます。その手直しの候補となる言葉が「選択肢」です。

具体的に見ていきましょう。

まず、「冷たい雨」。これは他の表現に変える事が出来ないでしょうか?
その選択肢には、どういったものがあるでしょうか?
例えば
・凍りつくような雨
・凍てつくような雨
・雪に変わりきれなかった雨
・静かな雨
・陰鬱な雨
・黒い空に見放され、地上に堕ちるしかなかった雫たち
・篠突く雨

など、出し始めればもっとありますよね。
こういった複数の選択肢を出し、その中で、
「私の表現したい事に、一番あっている言葉はどれか」と選んでいく。
これが良い文章を書くために必要な活動ですよね。


では、ここまで見たところで、考えたいと思います。
「ここにボキャブラリーは必要か?」

ある意味では必要ですよね。
「凍てつく」や「陰鬱」という表現を知っていないと、
これらの表現は思い浮かびません。知らない言葉を発想する言葉は出来ません。
その意味で、ボキャブラリーがない事は、文章力のアップの妨げになると
言えるかと思います。

しかし。
逆に、「篠突く雨」などという表現は、はたして知っている必要があるでしょうか?
これは「しのつくあめ」と読み、
意味は「篠竹を束ねて突きおろすように、細いものが集中して飛んでくる。雨の激しく降る様子」
との事です。
(私もこの言葉は知りませんでした。類義語をネットで検索してみたところ、
 偶然この言葉を発見しました)
もちろん、ボキャブラリーが豊富で、こういった難解な言葉を知っている方が
選択肢が広がるので、文章の幅が広がる事は確かです。

しかし、一般の読者の皆様の多くが、知らない可能性が高い言葉は、
はたして必要でしょうか?

その言葉を書く事で、
「自分にはボキャブラリーがある、優れた文章書きなのだ」という感覚を
得られるという方も、中にはおられるかも知れません。
ですが、そうする事で、読み手の皆様には
「なんだ、この漢字は? 何て読むんだ?」
と思われてしまい、それは結局、「読みにくい」という感想につながってしまいます。
(読めない、意味のわからない漢字から、その情景や内容を頭に浮かべる事は不可能ですので)

こう考えますと、「多すぎるボキャブラリーは、あまり意味がない」という事にもなりますよね。

ボキャブラリーは少なすぎると選択肢が狭くなる。
しかし多すぎて、それをフル活用しようとすると、独りよがりの文章になる。
こういったメリットやデメリットがあります。

そして。
ここからは、私自身の考えでもありますが、
文章を書く上で、本当に大切な事はボキャブラリーではなく、
「連想力」ではないのかと考えています。

先ほどの「冷たい雨」の書き換えの例を振り返ってみてください。
以下のような例がありましたよね。
・凍りつくような雨
・凍てつくような雨
・雪に変わりきれなかった雨
・静かな雨
・陰鬱な雨
・黒い空に見放され、地上に堕ちるしかなかった雫たち
・篠突く雨

この幾つかの書き換え例を出すための発想としては、
まず「冷たい」を「凍てつく」「凍りつく」という言葉へ変えました。
これは、「冷たい」をもっと寒い感じにしたら、どういう日本語になるかと
連想していった結果です。

次に、「詩的な表現にしたらどうなるだろう」と連想していった結果、
「雪」という言葉が思い浮かび、「雪に変わりきれなかった」という表現へつながっています。

次に、この「変わりきれなかった」という表現を見て、
何か「残念な感じ」や「後悔」という感じを受けました。
つまり、天気の表現の中に、なにか感情的なものが含まれる事も
あるんだな、と思い、何か他に感情を表す言葉はないだろうかと連想しました。

すると、「穏やかな」「憂鬱な」という言葉が思い浮かびました。
そこから、この「穏やか」「憂鬱」を、より雨の表現らしい書き方にすると
どういう表現になるかと考え、「静かな雨」「陰鬱な雨」という表現になりました。

これだけでも良かったのですが、極端な例もほしいと思い、
「思いっきり詩的で、宗教っぽい感じにしたらどうなるか」と連想し、
「黒い空に見放され、地上に堕ちるしかなかった雫たち」
へとつながっています。

これらの表現は、ボキャブラリーとして「知っている」から書けるという表現ではなく、
「こういう感じに変えてあげたら、どうなるだろう」
と自分自身に質問し、連想ゲームのようにつないでいく事で
生まれてくる言葉です。

大切なのは、知っている言葉の量ではなく、
「こういう風に変えたら、どうなるだろう」と自分に質問する力、
そして、そこから連想してアイデアを出す、連想力。
これらが、むしろ文章力の基盤になるものではないだろうか、と。
そんな事を個人的には考えています。

「言葉を知らない、ボキャブラリーがない。だから私には良い文章が書けない」
というお悩みをよく耳にしますが、実際はボキャブラリーの話ではなく、
むしろ、質問力と連想力の方を考えてみた方が、より良い文章を書けるのではないだろうかと、
私はそう考えています。

そして、誰もが連想ゲームを出来るように、
そして、自分の連想が、他の人の連想と完全に一致し続ける事が無いように、
連想力というのは、「誰もが持つ、自分だけのオリジナルの能力」だと思います。
その能力をしっかり鍛えて、活用してあげる事で
より良い文章へと生まれ変わっていくのではないでしょうか。

もし、文章力について悩まれる事があれば、
その際に、考え方の一つとして、思い出して頂ければ幸いです。
今回も最後までありがとうございます。

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