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ほのぼのミサ見学と鳥人儀礼 旅行

1864年、ヨーロッパ人がカトリック教をイースター島にもたらした。
現在では島民の90%以上はカトリック教徒だという。


日曜日には島中の人々が集まるミサがあるというので、宿の皆で見にいった。
教会の中は島人でいっぱいで、座りきれない人もいるくらいだった。
年若い神父のお説教に静かに耳を傾けた後は、ギターを伴奏にした賛美歌が歌われる。
独特のリズムで、ややゆっくりのどかな合唱。
その後、一連の儀式が終わると、近くの人達同士で手を繋いだり、握手をしたりする時間。
あたたかなミサだった。


たくさんの人が集まるとあって、島の人達はいつもよりちょっとおしゃれをしている。
何人かの女性は耳に生花を飾り、教会内にふんわりと花の香りを漂わせていた。


週に一度、同じ場で顔をあわせ、挨拶を交わす。
だいたいの人が顔見知り。
狭い社会ではあるけど、あったかい。


島を巡ると、山の上や茂みの中に十字架を発見する。
共同墓地も、カトリック式に埋葬されている。


それでは、ヨーロッパ人の入植前、島の人々は何を信仰していたのか。
モアイの下の石壇(アフ)の地下からは人骨が多数見つかっていることから、
モアイはその家代々の死者の遺骨を納める共同墓地の役割を果たしていたのではないかと考えられている。
日本の神道の祖先信仰に近い形で、かつての島民はモアイを崇拝していたようだ。
モアイは、祖霊の墓であると同時に自分達の家系集団の権力を表すものでもあった。
モアイを建設するための資源が枯渇し、モアイ建造時代が終焉した1680年ごろ、
イースター島では創造神マケマケを信仰する新しい宗教が興ったという。
そして、それまで成人式などに行われていた鳥人儀礼が、宗教的な意味を帯び始めたそうだ。
鳥人儀礼は、毎年9月に主催されるコンテストのようなもので、
島のいくつかのグループがそれぞれ1名若者を選び、
島の南西端の火山にある岬から2キロ離れた対岸の島まで、荒海を泳いで渡らせた。
その島までたどり着き、グンカン鳥が産む卵を一番早く割らずに持ち帰った者の上官が一年間、
マケマケ神の現人神「鳥人間」となって島を収めることができた。
イースター島のペトログリフ(岩面彫刻)には、マケマケをテーマにしたものがよく見られる。
(写真のペトログリフは恐らくレプリカで、左下の目のようなものがあるのがマケマケ)
断崖絶壁の岩肌から海に向かって荒波を泳ぐこのコンテスト自体が危険なだけでなく、
卵鳥に失敗した者は対岸の島で餓死したとも言われている。
そして鳥人になった者は、儀式の後、火山近くの洞窟で踊りを舞いながら食人をしたそうだ。
ここで、疑問がわく。
それまでモアイが信仰されていた島で、
なぜ新しい宗教が取って代わって信仰されるようになったのだろう。
この疑問の答えが見つかるのは、次の日に島の歴史を描く映画を観てからのことだ。


教会でのミサの後、ほそQ夫婦と食人洞窟へ向かってみた。
海からは激しく波が打ち付けられ、あまり居気持ちのよい場所ではない。
洞窟の天井には鳥の絵が描かれていた。
いくら厳しい戦いに勝った者の上官と言っても、人間であるその人をいきなり神として崇めるのは人々にとっても抵抗があったに違いない。
上官が普通の人間ができないような事=食人をすることは、
人間が神として崇められるために必要なことだったのかもしれない。


さらに、丘を登り、火山の火口湖へ向かう。


洞窟から歩いて40分くらいで火山の頂上に到着。
そこに、湖は静かに横たわっていた。
湖にはチチカカ湖で見たトトラ(葦)が覆っていた。
湖の端には海が見える。
湖と海の間の土地はオロンゴと呼ばれ、鳥人儀礼が行われていた場所だ。
生死をかけた戦いの様を、今は吹き荒む風だけが知っている。

写真は、イースター島到着日に飛行機から見たオロンゴと対岸の島。
ありさ
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